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2014年3月の3件の記事

2014年3月28日 (金)

アンパン帽に、軍服

昨年末、長澤剛正さん(昭27法律学科卒)の聞き取り調査をさせて頂きました。長澤さんは、現在も海軍第十四期飛行専修予備学生の出身者の会の活動を支えられているお一人で、何枚かの写真をご提供くださいましたが、そのうちの一枚がこれです。

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当時の方には珍しくもないのかもしれませんが、慶應の学生の写真としてはとても珍しいものです。お気づきになるでしょうか。

帽子は正面にペンマークのある慶應義塾の学帽。戦前の大学生(学部生)は、ふつう旧制高校や大学予科の生徒が被っていた丸い帽子ではなく、いわゆる「角帽」を被っていましたが、慶應は予科生も学部生も同じ丸い帽子を被っていました(もっといえば普通部生も)。

「角帽」はいかにも大学生らしくあこがれの的でもあったようですが、それに対して慶應の丸帽は、アンパン帽とバカにされることもありました。なぜ慶應は角帽を被らないか――。このことについては、記したいことがたくさんありますが、ここでは見送りまして、注目すべきは上着の方です。ペンマークの付いたボタンが並ぶ詰め襟ではなく、ボタンのない海軍の制服を着ています。

兵役を終えてキャンパスに戻ってきた学生の中には、慶應の制服が手に入らず、階級章などを外した軍服を着てくる人が少なくなかったと、よく聞きます。まさにその時代の塾生の姿を捉えている写真というわけです。慶應義塾の歴史資料として、こういう服装の学生ポートレートは今まで所蔵していませんでした。もちろん陸軍に行っていた方は、カーキ色の軍服に丸帽を被っていたわけです(こちらは依然として慶應にありません)。

ちなみに長澤さんは、他大学に在学中、学徒出陣を迎えて海軍に入り、復員後、元の大学ではなく慶應大学に入り直されました。こういう経歴の塾員の方もいらっしゃいますし、海軍兵学校や陸軍士官学校から慶應に入られたという方もこの時代にはたくさんいらっしゃいます。そのように多様なバックグラウンドを持ちつつ、慶應という共通の接点を持っている人たちの記録を、このプロジェクトではできるだけ濃くまとめて残しておきたいと考えています。

2014年3月14日 (金)

白井厚名誉教授をお招きして勉強会開催

3月11日15時より三田キャンパス内において、白井厚名誉教授をお招きしての勉強会を開催いたしました。

周知の通り、白井先生は「慶應義塾と戦争」というテーマのみならず、「大学と戦争」という分野でも、日本におけるパイオニア的存在です。今回は、特に慶應の戦時下の研究を始められたいきさつやその経過、その後の研究の発展や他大学の状況、現状の問題点などを幅広く丁寧にお話しいただきました。当プロジェクトに関わっているメンバーを中心に20名弱の小さな会であったため、盛んに質問も出て、予定を30分以上オーバーして終了となりました。またその後の懇親会でも、学生、院生を含め、盛んに議論を交わす貴重な機会となりました。

白井厚先生には、20年以上前よりゼミの学生と進められた共同研究の際、収集された貴重な資料や大量のアンケート類を、当プロジェクトにご提供頂いております。今ではなしえない貴重な先行研究の上に、さらに当分野の研究を進展させるべく、努力を重ねて参りたいと考えています。

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2014年3月 3日 (月)

藤原工業大学開校の地記念碑、除幕

理工学部の前身である藤原工業大学が開校して75年に当たる本年、理工学部では記念事業が進められています。3月1日午前、日吉キャンパス塾生会館脇に「藤原工業大学開校の地記念碑」が除幕されました。

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藤原工大は、塾員藤原銀次郎氏により昭和14年に創立されました。開校時は別大学で、その後慶應に寄付されたのですが、開校当時からこの大学は慶應義塾のキャンパス内にあったので、記念碑が塾生会館前に建ったわけです。なぜそういうことになったのでしょうか?気になる方は碑文をご覧ください。↓

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記念碑には藤原工大の校章である藤のマークがあしらわれています。同校の校旗は、慶應の三色旗の真ん中に、この藤のマークをあしらったものでした。

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同校は、何回か卒業生を送り出してから慶應に寄付されることになっていましたが、戦争中、国が大学の整理縮小を推し進めたため、(潰されてしまわないように)予定を前倒しし、昭和19年に慶應義塾大学工学部となりました。しかし昭和20年の空襲で日吉の校舎の多くを焼失。戦後は仮校舎を転々とし、長らく小金井にありましたが、昭和46~7年に矢上キャンパスに移転しました。このことを当時は「日吉復帰」と呼んでいたことからも分かるように、藤原工大→工学部の歴史は、戦後も長く戦争の影響を受けた苦難の歴史でした。

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