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2019年8月の1件の記事

2019年8月 1日 (木)

「忘れられた戦争のカケラ」展―オリンピック関係資料

Hbht0209apgs忘れられた戦争のカケラ展を慶應大阪シティキャンパスで開催中です。資料は実物資料や写真などをすべてあわせると約100点の規模になりました。(当初はこんなに大きくなる予定では無かったのですが)

今日の時点の見所としては、大河ドラマ「いだてん」をご覧の皆様にとっては、8月4日放送内容にドンピシャの展示が多数。1932年のロサンゼルスオリンピックと、1936年のベルリンオリンピックは、慶應出身選手も大活躍。その時の金メダル・銀メダルの展示や、メダリストたちはじめオリンピアンたちの資料を多数展示しています。しかしその中には戦争で命を落とす者も少なくなく、その戦死は当時大きく報じられました。

こちらはロサンゼルスオリンピックで宮崎康二さんが獲得した金メダル。宮崎さんは当時中学生でしたが、2位で銀メダルを獲得した塾生の河石達吾さんの人柄に惹かれて慶應に入学、その後水泳部主将となりました。ですからこれは塾生時代のメダルではないのですが、慶應にゆかりとしてご遺族から寄贈されました。


Hbht0191apsこちらは、宮崎さんの金メダルの時に2位だった河石さんの死亡告知書。河石さんは身重の妻を残して召集され、昭和20年3月、硫黄島で戦死。残された子供は後に慶應に入学、水泳部マネジャーとなりました。この資料を今回お貸し下さった、河石達雄さんです。

Dsc_8995こちらは、ベルリン五輪で6位入賞の児島泰彦さんの遺品として伝わるベルリンオリンピックの日本選手控室看板の寄せ書きです。結果は残せなかったものの、最若手で次に期待の掛かる児島に、「東京では頼むぞ」という意味で贈られたのでは無いかと想像されます。贈ったのはロス・ベルリン両方のメダリスト・小池礼三さん。小池さんもまた、中学時代にロスに出場し、河石さんに惹かれて慶應に入学して水泳部主将となった人(河石さんというのはどんな方だったのかと気になります)。豪快な人で、陸軍時代には香港攻略で泳いで渡ったという新聞記事が戦中に出ています。しかしその話は本人曰く新聞が戦意高揚で書いたインチキ記事だそうです。児島さんは東京オリンピックが幻となって、その後海軍主計となり、沖縄で戦死しています。


1p5この写真は、三田綱町にあった水泳部の合宿所と思われる写真で、写っているのは高橋弘さん(左)と片山崇さん。背後には幻となる1940年の東京オリンピックのバナーが見えます。この2人は当時日本のトップクラスの選手で、ともに五輪代表の呼び声が高かったのですが、戦争の影響でオリンピックがなくなり、その夢を奪われました。しかも右の片山さんは海軍に進み、特攻で戦死します。会場では、婚約者が秘蔵していた片山さんの「褌」も展示します。ご記憶の方もいらっしゃるかも知れません。2014年に三田で展示した、あの褌です。2013年にも資料を展示しました

Dsc_46658月4日には研究報告会を予定しています。ぜひ会場にお運び下さい。

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