2018年10月 1日 (月)

戦災で損傷した旧図書館のペンマーク現る

慶應義塾図書館旧館の免震と外壁の修復が進んでいます。そのような中で、戦争に関係する修復作業が開始されていますのでお伝えします。

この図書館の建物は関東大震災で大きく損傷して修復され、その後さらに米軍の空襲で書庫以外の本館内部と屋根を全焼してまた修復されました。戦後は長らく旧状と異なる屋根の形をしていましたが、これも1980年代に戻されました。開館当時よりも飾りが簡略化されている部分がありますが、かなり元に近い姿になっていました。

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ただ、一見して戦災前と旧状が異なっているのに、そのままとされている場所があります。それが正面上部にあるペンマークのエンブレム部分です(上の写真の円内)。ここは、大きな円の中にペンマークを中央に描いたエンブレムと、その周囲に4つの小さな円形を刻んだ飾り石がはめられています。戦災で建物内部が焼失した際、この部分は噴き出す炎に晒されて、表面が剥離してしまい、刻んだ形が見えなくなってしまいました。戦後この建物を修復した義塾関係者は、この建物が戦争を経た建物である痕跡をこの飾りの部分に留めることにし、ペンマークだけ修復して、四方の円形の修理は行わずそのままとしたのでした。

しかし今回の修理に伴う調査で、戦後修復された人造石によるペンマークがもろくなっており、剥落寸前と判明、取り外して改めて修復を行うことになりました。そこで戦後取り付けられていた人造石によるペンマークを取り外す作業が、9月28日午後2時より行われました。取り外されたペンマークの石がこちら。左下部分は、工事着工前にすでに剥離してなくなってしまっていました。

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作業前後のペンマーク部分の写真がこちら。(黒く見えるのは堆積したホコリ)

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この部分は、今回の工事でもペンマーク部分のみ修復し、周囲の円形の飾りは戦災の状態を残す予定となっています。これ以外にも、第一書庫の屋根裏より、空襲で損傷した鉄骨が発見され、そのまま保存することになりました。慶應義塾図書館は、戦争の歴史を伝える建物という側面も重視して工事が進められています。

2017年11月28日 (火)

「近代日本と慶應スポーツ」展開催中

慶應義塾三田キャンパス東館8階で「近代日本と慶應スポーツ」展が始まりました。

11月18日~12月13日(無休)、毎日10時~18時、どなたでもご覧頂けます。

戦争関係の展示も充実しています。こちらの画像はベルリンオリンピック(1936)に陸上短距離で出場した鈴木聞多選手(後に戦死)のユニフォームやスパイク。

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こちらの画像は、別当薫、山本英一郎、正力亨、百万ドルの内野陣宇野・大舘など多くの野球部関係者が名前をそろえた日の丸、回天特攻で戦死した塚本太郎の記念に戦後作られたレリーフ(現在は水泳部合宿所に常設)、ロサンゼルスオリンピック(1932)での水泳銀メダリストで硫黄島で戦死した河石達吾が妻へ贈った硫黄島からの手紙など。

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ベルリンオリンピックの有名な「友情のメダル」と、メダルを分け合った慶應生の大江季雄の卒業論文なども展示します。

2017年7月14日 (金)

焼け焦げた写真と陽気な寄せ書き

應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクトの一つの強い自覚は、学生の意識や実態の多様性です。

今回展示した資料中に、野球部OBの松澤喜三郎さんがお持ちだった、軍隊入隊時の友人たちの寄せ書き帳があります。ここに書き込まれた野球部の仲間やクラスメイトと思われる友人たちの書き込みは、いわゆる「体育会系」のノリ。かわいいイラストあり(当時の学生のなかなかの多芸も興味深い)、「恋」の話題あり、かと思えば、ロンドンやワシントンまで爆撃しようという勇ましいものまで。見開きしか展示できないのは惜しいので、コピーを壁に多数展示しました。

H75s2332ws4-06 軍隊入隊前の寄書帳(松澤喜三郎旧蔵)(昭和19年陸軍入隊、昭和23年卒)

その隣には、縁が焼け焦げた写真が3枚。こちらは篠崎俊二さんのご遺族より。篠崎さんは学徒出陣で海軍に入隊、飛行予備学生で零戦の操縦員となり、昭和20年4月14日神風特別攻撃隊第一昭和隊員として鹿屋を出撃するときに、爆弾が外れて滑走路上で爆死されています。その上ご自宅も空襲で全焼。この3枚の写真は空襲をくぐって母が守って残ったわずか3枚の篠崎さんの写真というものです。H75s2120ws4-07 空襲による焼損がある篠崎俊二の写真(昭和18年海軍入隊、昭和20年戦死)

2017年7月 7日 (金)

プロジェクトの収集品を展示中

しばらくブログの更新が止まっており申し訳ありません。もちろん活動は継続しております。

現在三田キャンパス図書館(新館)展示室で、福沢研究センターの新収蔵資料の展示を行っております。開催データは下記の通りですが、展示の半分以上は戦争プロジェクトの収集資料と位置づけられるものです。そのうちいくつかをこのブログでも紹介したいと思っています。

とりあえず、最も目を引く展示品はこちら。

H75s2068w1952年のヘルシンキオリンピックで、北野祐秀さん(昭和29年経済学部卒、レスリング部)が獲得された銀メダルです。このメダルは戦争と関係がなさそうですが、「日本が独立回復後に最初に獲得したオリンピックメダル」です。こう書きますと、俄然戦争プロジェクトらしくなります。ぜひお越し下さい。

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「福澤諭吉・慶應義塾史 新収資料展
-歴史資料を通して見る慶應義塾の人と教育」

展示期間: 2017年7月3日(月)~8月5日(土)                            
展示場所:

慶應義塾図書館(新館)1階展示室 (開室時間 平日:9:00-18:20 土曜:9:00-16:50)
※日・祝日 休館
※一般の方も見学可能です(入場無料)

ギャラリートーク:

下記の日程でギャラリートークを行います。(講師:福澤研究センター 准教授 都倉 武之 )
7月26日(水) 14:45 -
8月4日(金) 14:45 -

主な展示資料:

・長沼事件関係福澤諭吉自筆資料
・日露戦争で捕虜となった塾員・栗田宗次関係資料
・「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクト収集資料
-学徒出陣に際しての塾生の日記、写真アルバム、戦歿塾生の遺品
-藤原工業大学関係資料
・高橋誠一郎文部大臣関係資料

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2016年12月 8日 (木)

旧図書館前のヒマラヤスギ伐採

慶應義塾図書館旧館(通称:旧図書館)の玄関脇に生えていたヒマラヤスギが昨日と今日で完全に伐採されました。もう1本右脇の文学の丘の手前に生えているものも間もなく伐採されると聞いています。旧図書館の免震工事に向けたやむを得ない判断と聞いています。残念ではありますが、移植も困難といわざるを得ない立地と大きさです。下の画像はほぼ同時刻のbefore after。

1481162709938↑12月8日午前10時30分      ↓12月6日午前10時1481162877438

これらのヒマラヤスギは、明治45年(1912年)の開館時に植えられたものではなく、関東大震災後に大規模な修繕を行い、書庫も増築した際、植えられたもののようです。昭和2年に書庫を増築、昭和3年に修繕が完了した時の写真には写っていませんが、昭和9年の写真には写っています。

Pf006997昭和3年大規模修繕完了時。左端の三角屋根の書庫が前年に増築された。

Pf006998昭和9年の卒業アルバムより。ずらりとヒマラヤスギが植えられているようにみえる。なお、昭和7年の卒アルにすでにヒマラヤスギが写っています。

この頃、校舎の脇にヒマラヤスギを植えることが多く行われていて、日吉の慶應高校校舎前にもこの頃植えられたものがありますし、信濃町も北里図書館や病院別館の跡地(現3号館)にも生えています。

なお、当初は反対側にも数本生えていたようですが(玄関を挿んで2本ずつ?)、その後枯れたのか伐採されたのか、昭和14年の写真にはもうないようです。旧図書館が空襲で被災した際もこのヒマラヤスギは生き残ります。この頃は玄関脇に2本写っています。戦後のある時期にもう一本は枯れてしまったのでしょうか。

Pf010751_2空襲から数年。雨ざらしの焼け跡のころ。右に2本生えている。

この木は1930年前後から90年近くこのキャンパスを見守ってきたことになります。伐採された木は一部を何らかの形で再利用することを検討中とのことです。

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