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2015年7月31日 (金)

第1会場は、8月6日までです

本日で第2会場は閉幕いたしました。

たくさんの方にご来場頂きまして有り難うございます。残り1週間は第1会場だけとなりますが、日曜日を除いて開いておりますので、まだの方は、ぜひともお越し下さい。

今週火曜日まで、6回にわたりギャラリートークを開催し、たくさんの方にお越し頂きました。資料をご提供頂きました皆様にも多くお越しいただけましたことをありがたく思います。

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F7ps9077_r撮影:石戸晋

2015年7月25日 (土)

疎開の資料も面白いと思います

展覧会も会期末が近づいてきました。第2会場は残りがあと1週間になりました。

今回の展覧会も多くのメディアで取り上げて頂きましたが、第1会場の塚本太郎の音声に話題が集中しました。私としては第2会場ももう少し注目してもらえると思ったのに、それが外れたことが残念です。

特に幼稚舎の集団疎開に関する資料は、来場者には最も興味を引いているもののように感じられます。昭和19年8月から20年10月にいたる静岡県修善寺と青森県木造(きづくり)での疎開に関する資料が、多くの方の目に触れたのはこれが初めてのことと思います。特に面白いのは疎開児童と親たちの交わした葉書です。今回の展示では一挙113枚を展示しています。

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日本の飛行機や艦船、あるいは上空に飛来したB-29の姿を描いたもの、のらくろや身近な風景を描いたものなど、目を引く絵もありますし、文章も読んでいきますと、日常の描写が大変興味深いです。中には東京の家が空襲で焼けてしまったことを伝えている葉書などもあります。

会場では連日、この一面に並んだ葉書を拾い読みしている方々の姿を見かけます。時には現役の幼稚舎生や横浜初等部の児童の姿も。小学生にとっても戦争の歴史をぐっと身近に考えるきっかけになるかと思いますので、ぜひお見逃しなく。

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今までの展示とは違う客層で、保護者の方がお子さんに熱心に説明して下さっている姿もよく見かけ、うれしく思います。(この写真ではちょっと飽きているかも(?)。)

第2会場は他に、勤労動員に関する資料と、日吉の米軍接収についても展示しています。勤労動員は資料が乏しく非常に困りましたが、今回初めて各学校の学年別勤労動員先一覧を作成しました。まだまだ情報が不足していますので、資料のご提供を切に願っております。

また、日吉の米軍接収につきましては、戦後の義塾経営の苦心がよくわかるかと思います。カラーを含む戦後間もない時期の映像も見所です。こちらもぜひご覧下さい。

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動画の一コマ。まるで闇市のような(?)雑然たる時代の日吉が映し出されます。背後はいわゆる「かまぼこ校舎」(米軍の残した兵舎を教室に転用したもの)

2015年7月 8日 (水)

シベリア帰りの「指ぬき」

展覧会開始後に資料のご寄贈が続いております。

こちらは、「指ぬき」です。不揃いなブツブツでおわかりの通り、自作のもの。シベリア抑留で裁縫工として働かされた際に使用したものだそうです。赤塚美希子様よりお父様の故深柄光勇さん(昭和23年経済卒)の使用品としてご寄贈いただきました。

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これがシベリア時代のものとは知らなかったそうですが、昭和60年に私家版として作ってあった自分史の中に「アルミの指ぬきは、今も抑留時代の記念品として保存している」と書かれていることに気づいて探したところ、これが見つかったとのことでした。

深柄さんは短歌がお好きだったそうで、自分史にはこの指ぬきについても歌われています。

  浴場の裁縫工となり日々をシャツ縫うアルミの指ぬき用いて

  修繕を待つシャツ数多前に置き素早く進めぬ針の運びを

  修繕の布縫う針のスピードも日増しに早し裁縫工われ

シベリア抑留の遺物は、大谷正春さんからご寄贈いただいた木製のスプーンに続いて2つめとなりました。

2015年7月 3日 (金)

資料が繋がるとき ―今西太一さんのこと

今回の展示は、特に第1会場が「地味ね」と、ある人に言われました。確かに今回は紙資料が多いかもしれません。その「地味」な資料の一つに、大岡明男さんの葉書があります。この葉書1枚の展示だけでは語り尽くせないことを少しご紹介します。

Dscn4638_r(第1会場です。ちょっとだけ展示替えしました)

大学と戦争という分野に先鞭をつけられた白井厚先生に、一昨年来、調査資料のご寄贈を頂いております。郵送でお届けいただいた資料を開梱し、ぺらぺらとめくっていたときのこと。見覚えのある名前の手紙に気づきました。差出人「大岡明男」さんとありました。大岡さんは、私がお手伝いさせていただいている慶應の書道会のOBで、昭和18年経済学部卒の大先輩。あるパーティーで一度お目にかかりシベリア抑留の体験者であると知り、聞き取りをさせて頂きたいと思っていたため、名前をよく記憶していました。 その手紙は、経済学部生時代の同窓で戦歿された「今西太一」さんが戦歿者として記録されているかを気遣い、白井先生に問い合わせたもので、1991年の日付でした。

今西さんの名前もまた、私にはとても印象深く記憶されていました。少し前に広島県の大津島にある回天記念館を訪問し、慶應出身者の資料の調査を行っていたからです。今西さんは、いわゆる人間魚雷・回天の搭乗員として昭和19年11月20日にウルシー方面で亡くなられているのです。

大岡さんと今西さんが繋がったことは驚きで、すぐに大岡さんに連絡を取り、聞き取りを行いました。昨年の初夏のことです。 大岡さんには、シベリア抑留のことと共に、今西さんのことを詳しく伺いました。お二人は、共に慶應の大学予科(日吉)出身ではなく、経済学部(三田)からの編入学者だったため、お互いに良く知る仲であったようです。いわばマイノリティー同士。だからこそ、戦歿しても忘れられているのではないかと、気にされたのでしょう。

今西さんは京都の出身で荻窪に下宿、大岡さんは自宅が荻窪。そのため荻窪で顔を合わせたこともあったこと、藤林敬三先生の研究会でも一緒であったと思う、ともおっしゃいました。そして、見せて下さったのが、今回展示している1枚の葉書です。それは昭和20年の初めのもので、当時大陸にいた大岡さんが、今西さんの特攻出撃を知り、親への葉書でそのことに言及しています。

「研究会での学友は神潮特攻隊の一員として南海のウルシー島に特殊潜航艇に乗って敵艦に体当りした事を新聞によって知り、強き感動を受けた。自分も皇国の為に潔く散る日に備へて訓練修養に努めてゐる。」

このように記されています。今西さんの出撃は新聞で知ったそうですが、その新聞記事には次の今西さんの辞世が出ていたとのこと。

「一億の大和をみなも丈夫(ますらお)も 一日ぐっすりねかせたい」

力んだ言葉が並ぶ記事のなかで、気負いのない淡々とした彼らしい言葉として強く印象に残り、今でもそらんじられるとお話し下さいました。

その聞き取りから、半年以上が過ぎました。今年の春、藤林敬三先生のご遺族よりお申し出を受けて、先生の旧蔵資料を受け取りに鎌倉の旧宅にお邪魔させて頂く機会がありました。今では使われていない自宅のあちこちから、戦前戦中の資料が出てきました。その一つが、今回第2会場に展示している、勤労動員に関する手帳です。その中には、慶應に委託されていた上智大学の学生に関する記述があり、その箇所を展示しています。

段ボール10数箱に資料を詰めて、そろそろ引き揚げようかというときです。最後に探索したエリアで、藤林先生がゼミの学生から送られたらしい色紙が数枚出てきました。多くは戦後のものでしたが、1枚ヨレヨレになった古びた1枚がありました。それを見て、たぶん声を上げたと思います。資料が繋がった瞬間でした。そこには特徴のある端正な字で「今西太一」と署名がありました。そしてその左隣には、草書で「大岡明男」の署名がありました。

資料を収集していくと、このように、人と人、資料と資料が、不思議と繋がっていくことがあります。それが歴史調査の醍醐味でもあります。

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(これがその色紙です)

先週、大岡さんが会場に足を運んで下さいました。なにやら大きな紙を丸めてご持参で、それを広げると、今西さんの辞世が出ている新聞のコピーでした。図書館で縮刷版をめくられたようです。そして、そこには確かに、上記の歌が記されていました。

色紙は今回展示していませんが、「地味」な展示物一つ一つに、このようなサイドストーリーがあります。(都倉)

2015年6月30日 (火)

第2会場設営完了

昨日と本日で、第2会場の設営を行いました。第2会場のタイトルは「疎開、動員、占領」です。集団疎開、勤労動員、日吉の米軍接収を主に扱います。
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見所としては、集団疎開中の幼稚舎生が書いたり受け取ったりした葉書を一挙100枚以上、並べて読めるように展示しています。
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3dscn4671_r葉書の設置は、とっても手間がかかっています。

5dscn4667_r葉書のクローズアップはこのような感じ。


4dscn4672_rまた、戦後間もない時期の慶應義塾が製作した貴重な動画も上映します。その他、こんなものが残っているのか、という「ちょっとした資料」が集まっていますので、是非お立ち寄り下さい。

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