忘れられた戦争のカケラ展を慶應大阪シティキャンパスで開催中です。資料は実物資料や写真などをすべてあわせると約100点の規模になりました。(当初はこんなに大きくなる予定では無かったのですが)
今日の時点の見所としては、大河ドラマ「いだてん」をご覧の皆様にとっては、8月4日放送内容にドンピシャの展示が多数。1932年のロサンゼルスオリンピックと、1936年のベルリンオリンピックは、慶應出身選手も大活躍。その時の金メダル・銀メダルの展示や、メダリストたちはじめオリンピアンたちの資料を多数展示しています。しかしその中には戦争で命を落とす者も少なくなく、その戦死は当時大きく報じられました。
こちらはロサンゼルスオリンピックで宮崎康二さんが獲得した金メダル。宮崎さんは当時中学生でしたが、2位で銀メダルを獲得した塾生の河石達吾さんの人柄に惹かれて慶應に入学、その後水泳部主将となりました。ですからこれは塾生時代のメダルではないのですが、慶應にゆかりとしてご遺族から寄贈されました。
こちらは、宮崎さんの金メダルの時に2位だった河石さんの死亡告知書。河石さんは身重の妻を残して召集され、昭和20年3月、硫黄島で戦死。残された子供は後に慶應に入学、水泳部マネジャーとなりました。この資料を今回お貸し下さった、河石達雄さんです。
こちらは、ベルリン五輪で6位入賞の児島泰彦さんの遺品として伝わるベルリンオリンピックの日本選手控室看板の寄せ書きです。結果は残せなかったものの、最若手で次に期待の掛かる児島に、「東京では頼むぞ」という意味で贈られたのでは無いかと想像されます。贈ったのはロス・ベルリン両方のメダリスト・小池礼三さん。小池さんもまた、中学時代にロスに出場し、河石さんに惹かれて慶應に入学して水泳部主将となった人(河石さんというのはどんな方だったのかと気になります)。豪快な人で、陸軍時代には香港攻略で泳いで渡ったという新聞記事が戦中に出ています。しかしその話は本人曰く新聞が戦意高揚で書いたインチキ記事だそうです。児島さんは東京オリンピックが幻となって、その後海軍主計となり、沖縄で戦死しています。
この写真は、三田綱町にあった水泳部の合宿所と思われる写真で、写っているのは高橋弘さん(左)と片山崇さん。背後には幻となる1940年の東京オリンピックのバナーが見えます。この2人は当時日本のトップクラスの選手で、ともに五輪代表の呼び声が高かったのですが、戦争の影響でオリンピックがなくなり、その夢を奪われました。しかも右の片山さんは海軍に進み、特攻で戦死します。会場では、婚約者が秘蔵していた片山さんの「褌」も展示します。ご記憶の方もいらっしゃるかも知れません。2014年に三田で展示した、あの褌です。2013年にも資料を展示しました。
8月4日には研究報告会を予定しています。ぜひ会場にお運び下さい。
当プロジェクトの収集もしくは所在確認を行った資料により大阪で特別企画展を開催します。
2016年3月に開催し好評を博した大阪での展示にの第2弾となる今回は「戦争の知られざる側面に光を当てる資料展示と研究成果の報告会」として、余り知られていない「慶應義塾と戦争」の接点を紹介します。
具体的には「オリンピックと戦争」「陸軍中野学校」「上原良司とその家族」「旧海軍日吉台地下壕」の4つをテーマとした資料展示と研究報告を行います。
どなたでもご覧頂けますので、ぜひお越し下さい。今後内容をこちらで紹介していきます。
チラシPDFはこちら→flyer2019.pdfをダウンロード(1.2MB)
■会期 2019年7月24日(水)~8月13日(火)10:00~17:30
入場無料 (閉館日 7/27(土)、7/28(日)、8/3(土)、8/10(土))
■主な展示品
慶應義塾出身オリンピアン関係資料(メダル、アルバム、戦没者関係資料)、慶應義塾出身の三兄弟 上原良春・龍男・良司の資料、陸軍中野学校出身者の資料(使用辞書、パスポート、撮影映像等)、旧海軍日吉台地下壕関係資料(遺物、内部映像)他 約50点の実物資料や映像、VR
■関連行事 <参加無料・予約不要>
①展示解説 7/24(水)、8/4(日)、8/13(火) 16:30~17:15
②研究報告 8/4(日)12:00~16:00
(1)旧海軍連合艦隊司令部地下壕VR展示
慶應義塾大学文学部教授 安藤広道
(2)長野県安曇野氏・上原家資料調査を通してみる上原良治の虚像と実像
日吉台地下壕保存の会副会長 亀岡敦子
(3)陸軍中野学校第一期生調査 ―映画『陸軍中野学校』と史実―
慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所 都倉武之研究会
(4)慶應義塾出身オリンピアンの資料調査 ―水泳部を中心に―
慶應義塾福沢研究センター調査員 横山寛
■会場・お問合せ先
慶應大阪シティキャンパス 大阪市北区大深町3-1 グランフロント大阪ナレッジキャピタル北館タワーC 10階
TEL 06-6359-5547 URL http://www.korc.keio.ac.jp/
JR大阪駅、阪急・阪神・地下鉄各梅田駅より徒歩
アクセスはこちらをご参照下さい。
■主催 慶應義塾福澤研究センター、慶應大阪シティキャンパス
]]>学徒出陣75年に当たる2018年12月1日と翌2日、「慶應義塾と戦争」シンポジウム・研究報告を、三田キャンパス南校舎ホールで開催しました。
12月1日はプロジェクトの進捗状況の報告と討論、12月2日は慶應義塾に関連して行われている戦争関係の研究報告会の形式で、両日とも150名ほどの来場者があり、まずまずの盛況だったかと思います。
・今回の報告中では、特に特攻のことが多く言及されましたが、特攻のことばかりを調査しているわけではなく、むしろそれ以外のことをできるだけ調査しようとしています。引き続き情報をお待ちしています。
・1日目はアーカイブ構築、2日目はその資料を用いた研究という構成になっておりました。資料の研究活用、さらには教育活用は、ますます継続して検討していきたいと考えています。
]]>学徒出陣75年 シンポジウム・研究報告「慶應義塾と戦争」
近代史の研究機関である慶應義塾福沢研究センターでは、2013年8月より「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクトと題して、戦争期の慶應義塾に関する多角的な調査・研究活動を進めて参りました。5年経過した現在の調査状況を報告し、あわせて慶應義塾に関連して様々な視点から進められている最新の戦争期研究の発表の機会としたいと考えています。
会場:慶應義塾大学三田キャンパス南校舎5階 南校舎ホール 参加申込み不要/入場無料
プログラム
2018年12月1日 [土] 開場 12:30、開始 13:00、終了 18:00 | ||
第1部 シンポジウム | ||
13:00 | ご挨拶 | |
大石裕(慶應義塾常任理事) | ||
13:10 | 趣旨説明 | |
都倉武之(慶應義塾福沢研究センター准教授) | ||
13:20 | 戦時下の塾生・塾員の動態分析―在学証書・学籍簿・成績原簿・卒業学生要録のデータベース化を通じて― | |
平山勉(湘南工科大学工学部教授) | ||
14:00 | 慶應義塾関係者への戦時下に関する聞き取りの分析 | |
石田幸生(亜細亜大学都市創造学部専任講師) | ||
14:40 | 戦時下の塾生・塾員資料の収集とその意義 | |
横山寛(慶應義塾福沢研究センター調査員) | ||
15:30 | 戦時下の塾生・塾員に関する展示と情報発信 | |
都倉武之(慶應義塾福沢研究センター准教授) | ||
16:00 | 慶應義塾幼稚舎疎開学園資料集の刊行 | |
加藤三明(慶應義塾幼稚舎教諭) | ||
16:30 | コメント | |
西山伸(京都大学文書館教授) | ||
望月雅士(早稲田大学講師) | ||
白井厚(慶應義塾大学名誉教授) | ||
17:15 | ディスカッション |
2018年12月2日 [日] 開場 9:00、開始 9:30、終了 17:30 | ||
第2部 研究報告(進行:都倉武之) | ||
9:30 | 陸海軍史料に見る「学徒出陣」―在学徴集延期停止の背景と昭和十八年臨時徴兵検査― | |
田中温子(国立公文書館非常勤職員) | ||
10:15 | 長野県安曇野市・上原家資料調査 | |
①上原良春・龍男・良司兄弟の資料と分析 | ||
横山寛(慶應義塾福沢研究センター調査員) | ||
②上原良司の新資料に見る虚像と実像 | ||
亀岡敦子(日吉台地下壕保存の会副会長) | ||
11:10 | 映画『陸軍中野学校』と中野学校1期生―特に慶應義塾出身者について― | |
手島有紀(慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所都倉武之研究会) | ||
(昼休憩) | ||
13:00 | 慶應義塾幼稚舎疎開学園資料からみえる私立小学校疎開研究の課題 | |
柄越祥子(慶應義塾福沢研究センター調査員) | ||
13:45 | 日吉と鹿屋―鹿屋第五航空艦隊司令部地下壕の調査成果から― | |
安藤広道(慶應義塾大学文学部教授) | ||
14:30 | 谷口吉郎・イサム・ノグチの戦後建築と平和への眼差し | |
渡部葉子(慶應義塾大学アート・センター教授) | ||
15:30 | 慶應義塾図書館が受けた震災・戦災による影響とその後の改修工事 | |
高村功一・舘崎麻衣子(文化財保存計画協会) | ||
16:15 | 日吉台地下壕と教育 | |
阿久沢武史(慶應義塾高等学校教諭・日吉台地下壕保存の会会長) | ||
17:00 | コメント | |
西山伸(京都大学文書館教授) | ||
望月雅士(早稲田大学講師) | ||
白井厚(慶應義塾大学名誉教授) | ||
17:30 | ご挨拶 | |
井奧成彦(慶應義塾福沢研究センター所長・文学部教授) |
*収集資料展示、日吉地下壕VR展示(2日目休憩時間のみ)あり
慶應義塾福沢研究センター 「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクト
[お問い合せ] 慶應義塾福沢研究センター(担当:都倉)
〒108-8345 東京都港区三田2-15-45
Fax: 03-5427-1605 E-mail: fmc@info.keio.ac.jp
]]>下記の通り、当プロジェクトのシンポジウム・研究報告を2日間にわたって開催します。
2018年12月1日(土)第1日目は福沢センターが進めてきた調査の活動を報告します。この日はちょうど学徒出陣の陸軍入営から75年目に当たります。
2018年12月2日(日)第2日目は、慶應義塾に関連して進められている多様な戦争関連研究を9名の方にご報告頂きます。内容は「学徒出陣」そのものから、特攻、上原良司、日吉台地下壕、陸軍中野学校、イサム・ノグチと谷口吉郎、幼稚舎疎開学園、旧図書館の修復工事と多方面にわたります。
参加事前登録等は一切不要、無料です。多くの方のご来場をお待ちしております。
チラシダウンロードはこちら→181201flyerc.pdf(897KB)
]]>慶應義塾図書館旧館の免震と外壁の修復が進んでいます。そのような中で、戦争に関係する修復作業が開始されていますのでお伝えします。
この図書館の建物は関東大震災で大きく損傷して修復され、その後さらに米軍の空襲で書庫以外の本館内部と屋根を全焼してまた修復されました。戦後は長らく旧状と異なる屋根の形をしていましたが、これも1980年代に戻されました。開館当時よりも飾りが簡略化されている部分がありますが、かなり元に近い姿になっていました。
ただ、一見して戦災前と旧状が異なっているのに、そのままとされている場所があります。それが正面上部にあるペンマークのエンブレム部分です(上の写真の円内)。ここは、大きな円の中にペンマークを中央に描いたエンブレムと、その周囲に4つの小さな円形を刻んだ飾り石がはめられています。戦災で建物内部が焼失した際、この部分は噴き出す炎に晒されて、表面が剥離してしまい、刻んだ形が見えなくなってしまいました。戦後この建物を修復した義塾関係者は、この建物が戦争を経た建物である痕跡をこの飾りの部分に留めることにし、ペンマークだけ修復して、四方の円形の修理は行わずそのままとしたのでした。
しかし今回の修理に伴う調査で、戦後修復された人造石によるペンマークがもろくなっており、剥落寸前と判明、取り外して改めて修復を行うことになりました。そこで戦後取り付けられていた人造石によるペンマークを取り外す作業が、9月28日午後2時より行われました。取り外されたペンマークの石がこちら。左下部分は、工事着工前にすでに剥離してなくなってしまっていました。
作業前後のペンマーク部分の写真がこちら。(黒く見えるのは堆積したホコリ)
この部分は、今回の工事でもペンマーク部分のみ修復し、周囲の円形の飾りは戦災の状態を残す予定となっています。これ以外にも、第一書庫の屋根裏より、空襲で損傷した鉄骨が発見され、そのまま保存することになりました。慶應義塾図書館は、戦争の歴史を伝える建物という側面も重視して工事が進められています。
]]>慶應義塾三田キャンパス東館8階で「近代日本と慶應スポーツ」展が始まりました。
11月18日~12月13日(無休)、毎日10時~18時、どなたでもご覧頂けます。
戦争関係の展示も充実しています。こちらの画像はベルリンオリンピック(1936)に陸上短距離で出場した鈴木聞多選手(後に戦死)のユニフォームやスパイク。
こちらの画像は、別当薫、山本英一郎、正力亨、百万ドルの内野陣宇野・大舘など多くの野球部関係者が名前をそろえた日の丸、回天特攻で戦死した塚本太郎の記念に戦後作られたレリーフ(現在は水泳部合宿所に常設)、ロサンゼルスオリンピック(1932)での水泳銀メダリストで硫黄島で戦死した河石達吾が妻へ贈った硫黄島からの手紙など。
ベルリンオリンピックの有名な「友情のメダル」と、メダルを分け合った慶應生の大江季雄の卒業論文なども展示します。
應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクトの一つの強い自覚は、学生の意識や実態の多様性です。
今回展示した資料中に、野球部OBの松澤喜三郎さんがお持ちだった、軍隊入隊時の友人たちの寄せ書き帳があります。ここに書き込まれた野球部の仲間やクラスメイトと思われる友人たちの書き込みは、いわゆる「体育会系」のノリ。かわいいイラストあり(当時の学生のなかなかの多芸も興味深い)、「恋」の話題あり、かと思えば、ロンドンやワシントンまで爆撃しようという勇ましいものまで。見開きしか展示できないのは惜しいので、コピーを壁に多数展示しました。
4-06 軍隊入隊前の寄書帳(松澤喜三郎旧蔵)(昭和19年陸軍入隊、昭和23年卒)
その隣には、縁が焼け焦げた写真が3枚。こちらは篠崎俊二さんのご遺族より。篠崎さんは学徒出陣で海軍に入隊、飛行予備学生で零戦の操縦員となり、昭和20年4月14日神風特別攻撃隊第一昭和隊員として鹿屋を出撃するときに、爆弾が外れて滑走路上で爆死されています。その上ご自宅も空襲で全焼。この3枚の写真は空襲をくぐって母が守って残ったわずか3枚の篠崎さんの写真というものです。4-07 空襲による焼損がある篠崎俊二の写真(昭和18年海軍入隊、昭和20年戦死)
]]>しばらくブログの更新が止まっており申し訳ありません。もちろん活動は継続しております。
現在三田キャンパス図書館(新館)展示室で、福沢研究センターの新収蔵資料の展示を行っております。開催データは下記の通りですが、展示の半分以上は戦争プロジェクトの収集資料と位置づけられるものです。そのうちいくつかをこのブログでも紹介したいと思っています。
とりあえず、最も目を引く展示品はこちら。
1952年のヘルシンキオリンピックで、北野祐秀さん(昭和29年経済学部卒、レスリング部)が獲得された銀メダルです。このメダルは戦争と関係がなさそうですが、「日本が独立回復後に最初に獲得したオリンピックメダル」です。こう書きますと、俄然戦争プロジェクトらしくなります。ぜひお越し下さい。
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「福澤諭吉・慶應義塾史 新収資料展
-歴史資料を通して見る慶應義塾の人と教育」
展示期間: 2017年7月3日(月)~8月5日(土)
展示場所:
慶應義塾図書館(新館)1階展示室 (開室時間 平日:9:00-18:20 土曜:9:00-16:50)
※日・祝日 休館
※一般の方も見学可能です(入場無料)
ギャラリートーク:
下記の日程でギャラリートークを行います。(講師:福澤研究センター 准教授 都倉 武之 )
7月26日(水) 14:45 -
8月4日(金) 14:45 -
主な展示資料:
・長沼事件関係福澤諭吉自筆資料
・日露戦争で捕虜となった塾員・栗田宗次関係資料
・「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクト収集資料
-学徒出陣に際しての塾生の日記、写真アルバム、戦歿塾生の遺品
-藤原工業大学関係資料
・高橋誠一郎文部大臣関係資料
]]>
慶應義塾図書館旧館(通称:旧図書館)の玄関脇に生えていたヒマラヤスギが昨日と今日で完全に伐採されました。もう1本右脇の文学の丘の手前に生えているものも間もなく伐採されると聞いています。旧図書館の免震工事に向けたやむを得ない判断と聞いています。残念ではありますが、移植も困難といわざるを得ない立地と大きさです。下の画像はほぼ同時刻のbefore after。
↑12月8日午前10時30分 ↓12月6日午前10時
これらのヒマラヤスギは、明治45年(1912年)の開館時に植えられたものではなく、関東大震災後に大規模な修繕を行い、書庫も増築した際、植えられたもののようです。昭和2年に書庫を増築、昭和3年に修繕が完了した時の写真には写っていませんが、昭和9年の写真には写っています。
昭和3年大規模修繕完了時。左端の三角屋根の書庫が前年に増築された。
昭和9年の卒業アルバムより。ずらりとヒマラヤスギが植えられているようにみえる。なお、昭和7年の卒アルにすでにヒマラヤスギが写っています。
この頃、校舎の脇にヒマラヤスギを植えることが多く行われていて、日吉の慶應高校校舎前にもこの頃植えられたものがありますし、信濃町も北里図書館や病院別館の跡地(現3号館)にも生えています。
なお、当初は反対側にも数本生えていたようですが(玄関を挿んで2本ずつ?)、その後枯れたのか伐採されたのか、昭和14年の写真にはもうないようです。旧図書館が空襲で被災した際もこのヒマラヤスギは生き残ります。この頃は玄関脇に2本写っています。戦後のある時期にもう一本は枯れてしまったのでしょうか。
空襲から数年。雨ざらしの焼け跡のころ。右に2本生えている。
この木は1930年前後から90年近くこのキャンパスを見守ってきたことになります。伐採された木は一部を何らかの形で再利用することを検討中とのことです。
]]>「慶應義塾福沢研究センター所蔵 福沢諭吉・慶應義塾史新収資料展」にてギャラリートークを行います。
2016年7月13日(水)14時40分から(30分程度)
2016年7月22日(金)14時40分から(30分程度)
いずれも当日、三田の図書館新館展示室に直接お集まり下さい。
三田の慶應義塾図書館新館1階展示室で、「慶應義塾福沢研究センター所蔵 福沢諭吉・慶應義塾史新収資料展」が始まりました。会期は7月1日~30日(日祝休館)です。
今回はこれまでのような戦争一色の展示では無く、福沢諭吉自筆資料や、福沢著作の版木、その他慶應義塾史に関連する資料も展示していますが、戦争関係が3分の1以上を占めています。また、これまではディスプレイの専門業者にお手伝いいただいていましたが、今回は完全に学生・院生と完成させた展示会場です。
展示会場の当プロジェクトのコーナーでひときわ目立つ日章旗は、これまでの展示に毎度ありましたが、欠かせなかった塾長小泉信三の署名がありません。そのかわり別のある人物の署名が一つだけあります。かなりの珍品と自負しています。さあ、誰の署名でしょうか。
そしてもう一つ目立つのが、グーテンベルク聖書用の展示ケースに鎮座まします、「シャコ貝」です。この巨大な貝殻は、昭和15年7月の野球部ハワイ遠征の際に持ち帰られ、予科教員の亀井常蔵氏に贈られたもの。真珠湾攻撃の1年前でもこういった交流があったことは少々驚きです。
ハワイでは日系人チームや現地人チームなどと盛んに試合を行ったようですが、到着後最初の試合は米海軍とのものだったようです。翌日の読売新聞の見出しが面白いです。「慶應、米海軍を破る」。この20キロ以上ある貝殻を、持ち帰った野球部員も野球部員ですが(親しい先生への土産というか冗談だったのでしょう)、それを70年間保管していた方も保管していた方です。真珠湾攻撃前夜の日布交流を伝えるこの遺物は、法学部教授亀井源太郎先生から寄贈されました。
資料の寄贈は続いています。
これまで戦没者名簿に記載されていなかった、宮崎克実さん(昭和9年経済学部卒)の軍歴及び戦死に関する記録類を、御子息でやはり慶應ご出身の弘実さんがご寄贈下さいました。
ご本人の自筆資料は一つもありませんが、厚生労働省、大分県(本籍地)、靖国神社等から得られた戦没に関する資料の写しを一括ご提供いただき、また戦友からの戦没状況を知らせる手紙や戦死公報等の原本もあわせてお寄せいただきました。一人の人間の死の記録がどのように残っているのかを考えるとき、余りに簡素で、また粗末であることに衝撃を受けます。
宮崎さんは昭和20年5月臨時召集で満洲で陸軍入隊、21年3月頃牡丹江省にて栄養失調のために戦病死。遺骨は戻らず、お墓に入っているのは「陸軍上等兵宮崎克実之霊」と記す木札のみとのこと。
戦死公報は、昭和23年に妻に届いたもので漢字ひらがな交じり、大分県知事の名義で届けられています。その公報に付けられた大分市長の添え状に「名誉の戦(病)死」の文字があります。行政の作成した文書なので、この言葉が戦後もこの時期にはまだ違和感なく生き残っていたのか、ただこの資料が例外なのかはわかりませんが、戦争終結による価値観の急転換の中でのエアポケットとしても、この言葉が強烈に頭にこびりつきます。
慶應大阪シティキャンパス(KOCC)は、グランフロント大阪北館タワーC・10階ですが、とってもわかりにくいです!ポスター等も掲示できないことから、案内無しにはなかなかたどり着くことができません。私なりの解説をしてみたいと思います。
1)こちらJR大阪駅から直結のグランフロント大阪です。まずはとにかく「グランフロント大阪」を目指します。
2)グランフロント大阪に入ったら「北館」の1階を目指します。
3)北館の1階はこんなところ。吹き抜けのある開放的な空間です。
4)北館1階の奥に「タワーC」のエレベーターへ通じる扉があります(タリーズコーヒーの奥です)。警備員さんがいて入りにくいですが、ひるんではいけません。迷わず進みます。
5)エレベーターは左右に分かれていますが、右側のエレベーターです。目指す10階は右側のエレベーターでしかたどり着けませんのでご注意ください!
6)北館タワーCの10階にたどりついたら、あとはおわかりになると思います。廊下に沿って歩いていけば、最初に現れるのが「慶應大阪シティキャンパス」です。
]]>
昨日から慶應大阪シティキャンパスで「戦争の時代と大学」展がスタートしました。小さな会場ですが、貴重な資料が100点余り並んでおります。ぜひお越しください。
]]>
3月9日~17日にかけて慶應大阪シティキャンパスにて、当プロジェクト第4弾の展覧会が開催されます。7日より準備が開始されています。
今回は出張展示とはいえ、資料の内容は三田での展示に見劣りしないものとなっており、出品数はおよそ100点です。三田では展示できなかった新資料も出ています。毎度、一見すると汚い紙切ればかりですが、見ごたえがあると自負しております。慶應関係でない方にも十分関心を持っていただけるように構成しましたので、ぜひお越しください。
今回は大阪ならではの内容もご用意しております。
]]>長らくブログを更新できず失礼いたしました。
実は、前回の更新以降、福沢研究センターの入る図書館旧館が急遽改修工事に入ることが決定し、引っ越しの計画が急ピッチで立てられ、昨年末から先週にかけて移転作業を行いました。新しい事務室は南館(南校舎とは別の建物。ロースクールが入っている校舎)の4階です。一応3年後を目処に、旧図書館に復帰することになっております。住所、電話などの連絡先は変更ありません。
新しい場所は旧図書館より手狭で不便なことも多いのですが、これにめげず、プロジェクトは引き続き活動を続けて参りますので、ご支援のほどをよろしくお願い申し上げます。
30年ぶりにがらんどうになったセンター内の一角。
作業を恨めしそうに見守る手古奈サン(戦災の痕を留める大理石彫刻です)
新しい事務室の入る南館はこちら。
]]>諸事情により長らく空いてしまいました。プロジェクトの活動が終わったわけではありません。まだ続々と資料のご提供を頂いております。
沈黙の間にご提供いただいた資料も、順次ご紹介したいと思います。こちらは、吉田兼次郎さん(学徒出陣、応召中の昭和19年の卒)の妹松本浅子さんよりご寄贈いただきました。お兄様が最後の休暇の際、浅子さん宛に遺された書です。
兼次郎さんは浅子さんにとって自慢の兄で、一緒に歩いていると兼次郎さんのファン(片思い)の女性から「あんた何よ」といわれるほど、もてたとのこと。
前列中央がお兄さん、後列右端が浅子さんです。
兼次郎さんの戦死は昭和20年3月、シンガポール方面の洋上とされています。浅子さんは戦後シンガポールを訪れて兄を偲んだ際に日本人墓地で拾ってきた石を、この書と一緒にお持ち下さいました。その石を兄と思い、毎日体をさすっていたというのです。その何の変哲も無い石は、一部が平らでツルツルになっています。
(ツルツルの面)
このプロジェクトは学術調査であるわけですが、同時に人が人を想う気持ちというものを常に考えさせられます。資料一つ一つが今日に至る歴史を持ち、あるものはこのように公となり、あるものは今まさに失われていっているわけです。
]]>長らく空いてしまいました。無事展覧会が終了し、資料返却作業がようやく一段落しようというところです。たくさんのご来場を有り難うございました。
資料寄贈がぽつぽつと続いていますので、少しずつご紹介していきます。
今回は、医学部体育会弓道部から(全塾の体育会は「弓術部」ですが、医学部体育会は「弓道部」なのですね)。部の大掃除で保管資料から一冊だけ出てきた戦時中の日誌を、OBの方々ともご相談の上で7月にご寄贈いただきました。
昭和16年12月に始まるこの日誌には、日々の部の練習や試合のことが記されているのですが、時々軍医となった先輩が尋ねてきたり、葉書が挿んであったりします。
(挟み込まれた葉書と「久保中尉歓迎慰労会」の寄せ書き)
少々目についたところでは、昭和18年4月4日に「慶應義塾大学学部断髪令発布即日効力発生」とあり、これまで伸ばすことを許されていた髪を丸刈りにしなければならなくなったことへの言及があります。慶應ではこれ以前に予科で「断髪令」が出された際、予科生がストライキを行うのですが、さすがに戦争まっただ中にそんなことはできず、「おっ始めたら国賊と云はれるかも知れない世情である」と、淡々と記されています。
昭和18年10月18日には、「四谷三田懇親会」とあり、学徒出陣が決まり、学窓を離れる三田の弓術部員の壮行会を兼ねて試合が行われ、「35中対27中」で四谷(医学部)が勝ったとあり、次のページに見開きで、当日参加者と思われる署名の寄せ書きがあります。
(寄せ書きのページ)
寄せ書きには、医史学で有名な大鳥蘭三郎の名前が見えるほか、見覚えのある名前が1つ。三田の弓術部員として参加していたと思われる「古市敏雄」さんの名前です。この方は、昭和20年4月、第1 八幡護皇隊の一員として特攻出撃、戦死されています。今月、宇佐海軍航空隊の跡地を訪れたこともあって、宇佐で編成された八幡護皇隊の一員の名との出会いは、不思議なものです。
(右下部分の拡大。中央に古市さんの名前)
戦時下の日誌は突然終わりを告げます。「昭和十九年年末」の日付で「突然道場開けわたしの命令が来た」とあり、道場の材木を防空壕の資材にするとのことで、部員一同が憤慨したところ、破壊の件は取りやめになって「一同狂喜した」という記述で終わっています。次のページからは、滲みきった青インクで、何事もなかったように昭和23年5月18日の記載が始まります。
(左ページが昭和19年、右ページは昭和23年)
いわゆる「学徒出陣」がなかった医学部における「終戦」は、文系学部のそれとは、皮膚感覚が少々違ったのかもしれない、と考えてみたりしました。いずれにしても、当時の学生の手による貴重な資料が、また一つ加わりました。
]]>慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)は、東京駅丸の内側にある丸ビル7階で『夕学五十講』(講演、有料)を開催しています。
2105年度後期の12月3日(木)は、本プロジェクト担当の慶應義塾福澤研究センター准教授の都倉武之が特攻を経験された方を含む元学徒兵の方々との対談を行います。
タイトルは、「戦後70年、『学生と戦争』を考える」です。
お申込みは、8月26日(水)10時からです。
ご案内できるウェブページも準備中です。
]]>