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2014年7月の2件の記事

2014年7月24日 (木)

(戦後70年を前に) 戦禍の記憶つなぐ 資料発掘に若者の力 日本経済新聞 2014年7月24日

日本経済新聞で、本プロジェクトの活動が紹介されました。

タイトル:

 (戦後70年を前に) 戦禍の記憶つなぐ 資料発掘に若者の力

内容:

慶大福沢研究センターの取り組みが紹介されています。都倉准教授のコメントも引用されています。

他に、厚生労働省、宮崎県遺族連合会、豊の国宇佐市塾(大分県)、東京都江東区森下5丁目について触れられています。

2014年7月 1日 (火)

キャンパス路上観察①

キャンパスの中で、なかなか気づかないところにも戦争の痕跡はあります。

この写真は三田キャンパス内の柵です。

Dscn1059_r


一見何でも無い、ただの汚い柵ですが、これが戦争と関係が大ありです。鉄の横棒と石の柱との境目にご注目下さい。

Dscn1056_r


鉄の横棒と石の柱のサイズが合っておらず、コンクリートで埋めてあります。元々こんな粗悪な作りの柵だったのでしょうか。

次にこちらの写真をご覧下さい。(昨年度の展覧会の資料番号B-P08-5です)

5uehara82_2


この写真は出陣塾生壮行会(昭和18年11月23日)を終えた塾生が、今の東門からキャンパスを去って行く様子を写したものですが、その背景に写っているのは、同じタイプの柵です。ここには鉄の横棒が写っていないことが見て取れるでしょうか?

戦時下の金属の供出によって、キャンパス内の柵は一度全て失われました。上の写真ではその様子が偶然写り込んでいます。ちなみに、この写真ではわかりにくいですが、上の写真の左の方に写っている当時の正門(いわゆる「幻の門」)の鉄扉も供出されたので、ここに写っている黒い門扉は、木製の格子状の無粋なものになっています。供出前や戦後復元された鉄扉の形はこちらの模型の写真でわかります。

というわけで、最初の写真の鉄の横棒のサイズが石の柱と合っていないのは、金属供出によって一度鉄の棒が失われ、戦後作り直した名残というわけです。おそらく余りお金をかけずに修復したので(たぶん既製品の鉄の棒で一番サイズの近いモノを使ったのではないでしょうか)こういう雑な作りになり、今では抜け落ちているところもあります。

最近は減りましたが、街中で時々、横棒を失い、穴の空いた石の柱だけが規則的に並んでいる、かつての柵の哀れな姿を見ることがあります(墓地などでは今でもとても多いです)。柵だけが妙に新しかったりする場合も、だいたいこのパターンではないかと思います。

このように、ちょっとしたところに、70年前の痕跡が残っています。

②はいずれまた…。

展覧会

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