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2015年6月22日 (月)

99歳の講義!

本日、日吉の授業で、今年99歳になる鈴木和男さん(昭和14年政治学科卒)に講義をしていただきました。
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鈴木さんは、大正5年生まれ、同12年に幼稚舎入学以来慶應で、その年の関東大震災も記憶されています。大学予科の入学が昭和8年で、日吉キャンパス開設の前年。ということで予科生として日吉を経験されていない最後の学年です(それまで予科も三田でした)。

卒業の翌昭和15年に応召、以後昭和21年の復員まで陸軍で生活。開戦時は香港攻略に参加、その後パレンバン、タルトン(北スマトラ)を経て、ラバウルに入り、昭和17年12月、ガダルカナル島に上陸。以後1か月余りを過ごし18年2月に脱出、ブーゲンビル島を経てラバウルで終戦を迎えました。

ガダルカナルでの経験は言い表せないとのことでしたが、上陸時につまづくと足下に次々にしゃれこうべが落ちていた様子。最初は手を合わせていたが、すぐにキリがなくなりやめたこと。高温多湿で3日で遺体が白骨化したこと。脱出時には危篤だったはずの重傷者が自力で歩き出し乗船したこと(生への執着)。人肉食の「噂」などについてもお話し下さいました。

現代社会とあまりにかけ離れている側面もあり、学生には戸惑う内容もあったかもしれません。1世紀を生きてこられた大先輩の言葉はどのように受け止められたでしょうか。
Dscn4607_r駆けつけて下さった毎度おなじみ、昭和19年三田会代表の神代さん(右)と鈴木さん。お二人の年齢を合計すると190歳!!

2015年4月21日 (火)

つるの屋じーじ(渡辺教義さん) 予科練と東京大空襲を語る

慶應義塾大学三田キャンパスにほど近い、大衆割烹料理屋「つるの屋」。毎晩、多くの塾生や塾員で賑わいます。今回は、ここのご主人、渡辺教義さん(通称じーじ)が、終戦直前の昭和20年に予科練を志願した体験について語って下さいました。

じーじは昭和5年生まれ。昭和20年に予科練の乙飛(海軍の乙種飛行予科練習生)を志願しました。その理由については「どうせ後で強制的に徴兵される。もっと歳がいってから厳しい境遇に晒されるのは嫌だった。もっと若いうちに飛び込んでしまった方が耐えられるんじゃないかと思った」と語りました。

細かいことは忘れてしまったとのことですが、よく覚えているのは、昭和20(1945)年8月1日に三重海軍航空隊で実施された最終試験(註)。じーじは、初めに靴を回収されたこと、海岸を裸足で走らされ足が痛かったこと、目を閉じたまま回転させられた後真っ直ぐ歩けるかを試されたこと、泊りがけで雑魚寝だったが隣の受験生と話すことは禁じられていたこと、そして食事の味噌汁があまりにも不味かったことなどを記憶しています。なぜ靴を奪われたのか今でも分かりませんが、逃がさないための工夫だったのではないかと想像しているそうです。
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結果は合格。当初8月15日に横須賀に入隊予定でしたが変更され、奈良海軍航空隊(天理)に8月31日に入隊を命ずる通知が来たと記憶しています(註)。しかしすぐに終戦となり、入隊は自然消滅。終戦を知ったときの気持ちについて伺うと、「何とも思わない、ただ、終わったんだなあって。戦争が終われば、そりゃあ軍隊もなくなるなあって」と、意外にも、素直に受け入れたそうです。

じーじの戦争体験は、予科練に留まりません。当時、向島に住んでいたため、昭和20年3月10日、東京大空襲で自宅が全焼しています。じーじの家は以前オーダーメイドの洋服店を営んでいたため、燃え上がる家から、洋服の生地を持ち出して逃げました。一緒に逃げた母は、川の水を飲んではいけないと聞いていたためか、水が満杯に入った大きなやかんを持っていたといいます。「何であんなものを、馬鹿みたいだよね」と振り返りますが、当時の必死さを伝えるエピソードです。
二人は地蔵坂方面に逃げて無事でしたが、反対の言問橋方面ではたくさんの人が亡くなりました。じーじはまだ寒かったはずのこの日のことを、一切の寒さを感じなかったと、振り返りました。家は全焼し、跡形もなくなりました。じーじは「何もなくなった、というだけ。しょうがない」と、そのときの思いを語りました。

さて、じーじは、つるの屋開業のいきさつについても語ってくださいました。最初は、赤坂見附で小さなお茶漬け屋を営業していたそうです。店名は「おりづる」。その後、その店は妻に任せてもう1店開くことになり、空いていた今の場所を見つけて次の店を始めました。これが「つるの屋」です。名前はもちろん「おりづる」に由来しています。しかし実は「つる屋」とする予定だったのですが、付近に同じ名前の呉服店があることを知り、敢えなく変更したとのことです。

今回の聞き取りで印象的だったのは、あらゆる局面での思いを振り返るとき、ほぼ一貫していた「何とも思わなかった」「特別な感情は抱かなかった」などのコメントです。当時はまだ15歳くらいで、何も考えていなかったのだと、じーじは話しました。しかし、私はそのことに、本来非日常であるはずの「戦争」という事象を、日常として受け入れざるを得なかった一人の少年の姿を見たような気もしたのです。(成田沙季)
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(註)じーじの予科練関係の日付は、資料での確認が十分できておりません。戦争最末期の予科練は大量採用で、しかも終戦を迎えたために、実態は不明点も多いようです。どなたかこれらの日付等を確認できる資料をご存知の方は、是非ともご教示下さい。

※今回は政治学科3年成田沙季さんが書いてくれました。今後もしばしば登場予定です。(都倉)

2014年3月28日 (金)

アンパン帽に、軍服

昨年末、長澤剛正さん(昭27法律学科卒)の聞き取り調査をさせて頂きました。長澤さんは、現在も海軍第十四期飛行専修予備学生の出身者の会の活動を支えられているお一人で、何枚かの写真をご提供くださいましたが、そのうちの一枚がこれです。

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当時の方には珍しくもないのかもしれませんが、慶應の学生の写真としてはとても珍しいものです。お気づきになるでしょうか。

帽子は正面にペンマークのある慶應義塾の学帽。戦前の大学生(学部生)は、ふつう旧制高校や大学予科の生徒が被っていた丸い帽子ではなく、いわゆる「角帽」を被っていましたが、慶應は予科生も学部生も同じ丸い帽子を被っていました(もっといえば普通部生も)。

「角帽」はいかにも大学生らしくあこがれの的でもあったようですが、それに対して慶應の丸帽は、アンパン帽とバカにされることもありました。なぜ慶應は角帽を被らないか――。このことについては、記したいことがたくさんありますが、ここでは見送りまして、注目すべきは上着の方です。ペンマークの付いたボタンが並ぶ詰め襟ではなく、ボタンのない海軍の制服を着ています。

兵役を終えてキャンパスに戻ってきた学生の中には、慶應の制服が手に入らず、階級章などを外した軍服を着てくる人が少なくなかったと、よく聞きます。まさにその時代の塾生の姿を捉えている写真というわけです。慶應義塾の歴史資料として、こういう服装の学生ポートレートは今まで所蔵していませんでした。もちろん陸軍に行っていた方は、カーキ色の軍服に丸帽を被っていたわけです(こちらは依然として慶應にありません)。

ちなみに長澤さんは、他大学に在学中、学徒出陣を迎えて海軍に入り、復員後、元の大学ではなく慶應大学に入り直されました。こういう経歴の塾員の方もいらっしゃいますし、海軍兵学校や陸軍士官学校から慶應に入られたという方もこの時代にはたくさんいらっしゃいます。そのように多様なバックグラウンドを持ちつつ、慶應という共通の接点を持っている人たちの記録を、このプロジェクトではできるだけ濃くまとめて残しておきたいと考えています。

2014年1月23日 (木)

軍隊経験記のご寄贈

昭和17年経済学部卒業の江原秀世さんが軍隊経験記をお送りくださいました。当プロジェクトの広告を見て、体験記をまとめることを思い立たれ、原稿用紙に詳しく見聞をまとめてくださっています。江原さんは外地を経験されていませんが、軍隊における日常や人間模様など、実際に体験されなければ絶対に記しえないことを多く書いてくださいました。さらに続編として、現在普通部時代のことをまとめてくださっています。

仲間内やご親族などに配るために印刷されたものをご寄贈頂くことはありましたが、このプロジェクトのためにお書きくださった方は初めてでたいへんありがたい協力と感謝しております。

皆さんの周りに、もし戦争中、あるいは復興期の慶應義塾の見聞がある方がいらっしゃいましたら、このように何か書き残すことをご提案いただけると、うれしく思います。頭の体操にも最適です(笑)。

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2013年10月22日 (火)

「出陣学徒壮行会」70年

21日は、有名な雨の出陣学徒壮行会から70年目に当たりました。神宮外苑の国立競技場の敷地内にある「出陣学徒壮行の地」記念碑前で、正午より有志による「戦没学徒追悼会」が行われました。

このプロジェクトに関連して何かとお世話になっている方々が多数お見えになっていて、過日このブログで軍服を探してくださった話でご登場いただいた昭和19年三田会代表幹事の神代さんもお見えでした。

オリンピック決定に伴う国立競技場建て替えで、この碑がいったん撤去されることが決まっており、移設について議論が行われています。良い判断が下されることを期待します。

写真は上から当日の様子、「出陣学徒壮行の地」記念碑と説明版、秩父宮記念スポーツ博物館内の新競技場模型(後方に神宮球場が見えますのでその巨大さが分かります)。

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