【出品資料】展覧会 慶應義塾と戦争Ⅰ 慶應義塾の昭和十八年

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〈 第1会場・図書館展示室 〉  会期 2013年12月2日(月)~12月26日(木)

1. 慶應義塾における開戦の風景

昭和16(1941)年12月8日、米英と日本の開戦が報じられた頃、慶應義塾の塾生は、どのような学生生活を送り、このニュースにいかに反応したのであろうか。当時の様子を知る方は、今となっては非常に少なく、資料も乏しい。ここでは、塾生の生活と心情を垣間見ることができる資料を紹介してみたい。

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2. 戦時のキャンパスと塾生 

当時の学生生徒は、徴兵猶予の特典を得られたとはいえ、卒業後の軍隊生活は避けられないことを意識していた。例えば、軍事教練の成績は、陸軍入営後の幹部候補生試験などに関係した。低い階級で過ごすことを避けるために、教練の出席率は高かった。せめて今のうちに青春を謳歌しようと、スポーツや旅行などを楽しむ者も多かった。しかし学生としての生活にも種々制限が加わり、政府は大学や諸学校の整理縮小を断行、慶應義塾もその存続さえ保障されない時代となっていった。

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3. 学徒出陣を前に

「学徒出陣」とは、第一義的には、20歳を超えても徴兵猶予によって学校生活を送っていた大学・高等学校・専門学校等の学生生徒が、昭和18(1943)年10月の徴兵猶予停止によって一斉に陸海軍に入ったことを指す。その数は慶應義塾の場合、約3000名とされている。しかし、その直前の9月に繰上卒業が実施され、同時期に海軍予備学生を志願して中退した者も多い。昭和18年の秋は、学徒出陣に限らず、多くの塾生がキャンパスに別れを告げ、続々と軍隊へと身を移していった時期であった。

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〈 第2会場・南別館アート・スペース 〉  会期 2013年11月25日(月)~12月18日(水)

塾生出陣の日

昭和18(1943)年10月2日、政府は大学・高等学校・専門学校の学生生徒に与えていた徴集延期(徴兵猶予)の特典を停止した。この結果、従来は満20歳を超えても、在学中は24歳まで兵役の義務を猶予されていた学生生徒が、12月初旬より一斉に陸海軍に入ることになった(ただし理工系の学生生徒等を除く)。このことを一般に「学徒出陣」と呼ぶ(その他にも様々な定義があるが、この意味が最も一般的である)。

この時、軍に入隊していく者たちのために、様々な行事が行われた。神宮外苑競技場において雨の中で行われた文部省主催の出陣学徒壮行会(10月21日)は有名だが、その5日前には野球の「最後の早慶戦」があり(同16日)、体育会各部もそれぞれの「最後の早慶戦」を行った。これらの行事は、徴兵検査や家族との時間を過ごすため帰郷して参加しなかった者も多い。慶應義塾では、学問を志す者としての生活を最後まで全うすることを塾長名の掲示で呼びかけた(同19日)。そして陸軍入営・海軍入団の日が迫る中で、日吉で大学予科の壮行会・運動会(11月19日)を開催。三田では大講堂(通称大ホール)で音楽会(同17日)、義塾関係戦歿者慰霊祭(同20日)を催した。そして最後に塾生出陣壮行会(同23日)を屋外で挙行し、「幻の門」(現在の東門)から出陣塾生を見送ったのである。

第2会場では、学徒出陣が発表されてから行われた様々な行事に関する資料を展示する。

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昭和18年10月16日 最後の早慶戦

昭和18年10月21日 出陣学徒壮行会

昭和18年11月17日 塾生出陣壮行音楽会

昭和18年11月20日 慶應義塾関係戦歿者慰霊祭

昭和18年11月23日 塾生出陣壮行会

塾長小泉信三が「出陣塾生」に贈った言葉

小泉信三による「塾生出陣」の描写


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