A-01,02,03,04,05,06,07,08 『三田評論』 昭和12年-18年

昭和12年から18年まで。

日中戦争が勃発した昭和12年7月以降の、各年の慶應義塾機関誌『三田評論』。当時は1年間同じ絵柄の表紙で、鈴木信太郎による素朴な三田の風景画であったが、やがて無機質なデザインとなり、ページ数も激減、物資統制の影響でついに発行できなくなったのは、まさに「学徒出陣」の昭和18年12月であった。


A-01 『三田評論』479号(昭和12年7月号) 昭和12年7月

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A-02 『三田評論』485号(昭和13年1月号) 昭和13年1月

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A-03 『三田評論』497号(昭和14年1月号) 昭和14年1月

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A-04 『三田評論』510号(昭和15年2月号) 昭和15年2月

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A-05 『三田評論』521号(昭和16年2月号) 昭和16年2月

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A-06 『三田評論』530号(昭和17年1月号) 昭和17年1月

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A-07 『三田評論』541号(昭和18年2月号) 昭和18年2月

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A-08 『三田評論』549号(昭和18年10・11月合併号) 昭和18年11月

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【出品資料一覧】展覧会 慶應義塾と戦争Ⅰ 慶應義塾の昭和十八年

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