ご感想受付 『慶應義塾と戦争Ⅰ 慶應義塾の昭和十八年』 

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展覧会 『慶應義塾と戦争Ⅰ 慶應義塾の昭和十八年』 (2013/11/25-12/26)をご覧になっての感想をお寄せください。

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想像していたよりは、小さい会場という第一印象でしたが、ゆっくり観てちょうど良い資料の量だと思いました。資料の字が読みづらいことへの対処として、すべての資料の横に、ワープロ打ちしたものがあったので、内容をよく理解できたのですばらしいと思いました。このようなことは、あるようでなかなか行われていないサービスだと思います。 すべての資料、展示品が驚きのものばかりでした。
 中でも、私も含め、他の来場者が集まってしばしその場に留まったのは、上原良司さんの12月8日の日記でした。これも、ワープロ字資料が横にあったので、とても長文でしたが、引き込まれてしまい、熱心に読ませていただきました。 朝、ラヂオで聞き逃し、2限に少し遅刻して教室に入ると、友人に「おい、聞いたか」 と言われ、少しずつ分かっていく、日本の宣戦布告。昼に、中庭に学生は集められて、先生がたから話を聞く。 「小泉塾長似の学生主事の先生から、このさい我々は、冷静に落ち着いて一層勉強すべし。この際、我々がさわいだ所で、我々のためにも国家のためにもならない。もし、国家が諸君を学校以外の地に於いて必要としたならば、敢然戦に赴くべし、との訓示を受け・・・ 」の文は、平易ではありますが、描写がすばらしく、その日のようすが手に取るように伝わってきました。当時の国の時勢が、米英なにするものぞ、であったので、塾生も、早く自分も戦地へ、ということのようだったのでしょう。 この上原良司さんは昭和20年に沖縄戦で特攻として戦死された、との一文に、世の無常を嘆かずにいられません。
 またスライドにあったたくさんの写真。日吉のあの横断歩道からまっすぐに続く、校舎までのなだらかな坂で、幾たびもの軍事練習が行われた写真を見て、ああ、日吉からもたくさんの先輩たちが、逝かれたのだと思うと、思わず日吉の校門に立ち止ってしまいます。 

 このような素晴らしい資料を、語り継いでいくことはとても大切な我々世代の義務でもあると思いました。ぜひ、こういった展示会を受け継いでいっていただきたいと思います。
(12/25 塾員、塾生のご家族)

私は理工学部の博士課程学生です.自分の通った高校・大学を通して,先の大戦をより立体的に捉える好機と思い,この展示に足を運びました.展示自体も素晴らしかったのですが,幸運にも生解説を聞くことができ,とても刺激を受けました.

例えば,今と変わらぬ気風を感じられた資料の例として:

・当時の学生が通っていた銀座の喫茶店やバーのマッチ箱のスクラップ帳
・学生の恋愛模様を伝える,恋人に残した写真立て

などは親近感を持って眺められました.またそれとは対照的に

・クラスや部活動が報国隊という組織に組み直されていたことを示す腕章
・シンガポール陥落を祝って行進する幼稚舎生

などを見ると,わずか数十年で私たちの世界が大きく変わったことを感じました.さらに

・開戦の報を聞いたクラスメイトが熱狂していく様を描写した日記
・詔書奉読の写真

などからは,当時の雰囲気や天皇陛下と国民の距離など,戦後の私たちには直感的によく分からないことが多くあるなと感じました.それはどのくらいの時間で,どのように作られたものなのか,あるいは明治以前も私たちが持っていたものなのか.そういうことも考えてみたいと思いました.

この企画はぜひ続けて欲しいです.今の世界がどう出来たのか知り,私たちが21世紀をどう生きていくかを考えるヒントになります.できるならば,開館時間を伸ばし土日も開館することでより多くの人の目に触れるようにして欲しいです.
(12/18見学、塾生)

大変すばらしい展示会でした。

 特に印象に残ったのは、送別会での集合写真です。その他のハイキングや学生生活の写真の表情とは一転した無表情の塾生の方々には、一言では言い表せない様々な思いがあった事と思います。そのなくした表情から訴えかけられるような強い力を感じ、なんともいえない悲しさを感じました。

 多くの塾生の方々に足を運んでいただきたいと思います。(12/17見学、塾員)

大変興味深い展示であった。
展示物の中で特に目を引いたのは、当時の卒業アルバムの写真であった。そこには、今の大学生と変わらない、当時の学生のはしゃいだ、そして少し悪ふざけをした様子を垣間見ることができた。戦争中の日本は全体主義に見舞われ、さぞ、戦争の勝利に向って、国民全体が一丸に結束していたのだろうという通俗的な視点を持ちがちだが、実際のところ、当時の学生と今の学生の本質は変わっていないだなという極めて当たり前の事実に気付かされた。戦局が悪化し、学徒出陣に至る閉塞した世においても、恋愛をし勉学に励んでいた当時の学生達の息遣いが展示品を通して伝わってきた。
また、大学と戦争という切り口にも意義があるものであろう。私学の雄であり高等教育の場でもあった当時の慶応大学がどのように戦争と向き合ったのか、教職員がどのように学生達を戦争に送りだしたのか、言語化されない背景から、様々な葛藤があったのだろうと何となくだが理解することができた。
戦争を美化するわけでもなく、一方で当時の日本を殊更否定するわけでもなく、展示品に関するストーリーを淡々と説明する構成を取ることで、参観者が自ら考え解釈する余地が生まれる。少なくとも後世の人間が「責任」という一言だけで、簡単に当時の日本を総括したり論評したりすることだけは避けなくてはならないだろう。決して広いスペースを用いた展示ではなかったが、そのようなことを感じさせてくれる場となっていた。大学が戦争に関するアーカイブを整備していくことは、意外にも大きな意義を有するものと思われる。(12/5見学、塾員)

とても興味深く拝見いたしました。

本人の意図とは関係なく、困難な時代に学生や教職員の立場で慶應義塾に在籍した人々のさまざまな想いに触れ、言葉もありませんでした。

戦時、しかも我が国にとって戦力が必ずしもよくない状況、という非常に極端な状況の下でのことではありますが、あの時代の人々が遺してくれた数々の遺品やメッセージは、翻って、この平和な現代に、我々が何を考え、何を成さなければならないかを非常に明確に教えてくれているように思いました。

年齢のせいか、展示を見ながらとくに印象に残ったのは、掲示や手紙などにみられる小泉信三塾長の塾生に対する「思いやり」のメッセージでした。短く、要領を得て、人の心に残る言葉でした。時代の流れで、彼とて若者たちのために決して十分な配慮をしてあげられなかったことも多かっただろうと思われますが、それでも自らの立場でやれることを精いっぱいやったように感じられました。

いまは平時で、あの時代とはまったく様相を異にしますが、次の世代の育成のために知らせなければならないことを、たくさん教えていただいたように思います。

ありがとうございました。(12/3見学、塾員)

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