中練と、辞世の句と、千種先生と
昭和18年の学徒出陣で海軍第14期飛行専修予備学生となり、特攻待機中に終戦を迎えた故高山知之さん(昭22年経卒)のご遺族から、操縦訓練を受けていた昭和19年5月から8月までのノート2冊のご寄贈がありました(峯村隆二氏寄贈)。
練習用飛行機(中練)の操縦訓練時のノートです。1年前には日吉や三田で文系の授業を受けていた学生が、翌年にはパイロットとしての訓練を受けていたという事実はなかなか実感できませんが、このような実物を前にすると、より具体的に考えることができます。
(昭和19年)7月27日付、「編隊飛行離着陸」とあり。
さらに、高山さんが裏に辞世の句を書いた写真2枚もご提供頂きました。この写真はそのうちの一つです。辞世の句はもう1首あります。高山さんは昭和20年8月15日朝、樺太方面への出撃が予定されていたものの中止になったと私家版の自叙伝に記しています。
上の写真の背景は桜。下の辞世の句にはこうある。
「吾が愛し 吾が愛されし 国民に 祥あれかしと 祈りつゝ征く」
同時にご寄贈頂いたものには、「価値論講義」と表題のある赤茶けたガリ版刷りの教科書もあります。経済学部の千種義人教授の教材で、昭和21年夏のものとわかります。学生からパイロットになり特攻待機、そしてまた学生に戻り、勉強を再開したことが、一人の、しかもわずか2年ほどの間に起こったことは、いまだに十分理解できていないように思うことがあります。