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2014年12月 8日 (月)

開戦日の日吉の写真

本日は12月8日、開戦の日です。

この日の慶應義塾の様子について教えてくれる資料は非常に乏しく、ほとんど何もありませんでした。昭和16年~18年の学徒出陣までの学内の動きを追うことを主眼とした昨年の「慶應義塾の昭和十八年」という展覧会の時点では、「この日」を展示する資料は、従来から知られていた学生(上原良司)の日記しかありませんでした。

このプロジェクトを開始して1年半余り、集まってきた写真アルバムの中に、「この日」の様子の可能性がある写真が数枚発見されました。そのうち、間違いないと思われるのがこの一枚です。
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10月の展覧会で展示した写真家の芳賀日出男さん(当時大学予科3年)の写真です。キャプションには次のように記されています。

 聖断の時遂ひに至る!昭和十六年十二月八日!
 「吾が精鋭なる海軍は真珠湾にせまりつゝあり、
  又空軍はすでにハワイ空襲…」
 スピーカーの前に塾生が耳をすまして胸と頬をふるはしてゐる…。

画像ではわかりにくいかと思いますが、日吉第一校舎(現在の慶應高校)の中庭に面した窓辺にラジオの音声を伝えるスピーカーが設置されており、着帽の塾生たちがそれに耳を傾けているという写真です。背後にもうっすらと第一校舎が見えています。これが現存する校舎の中から撮られたとすると現在の主事室か庶務課の辺りから中庭を見た写真ではないかと推定します。同じ日の写真である可能性があるこの写真と見比べると、いかがでしょうか。奥に写っている窓のどこかではないかと思われます。

この記事を見る塾高生や塾高の先生がいらっしゃいましたら、ぜひ現場検証をお願いできればと思います。

(第一校舎は上から見るとアルファベットのEの形をしており、この写真はEの真ん中の横棒の上側か下側から外を見ている状態と思われるので、背後にも校舎が写っています。背後の校舎の右端に中庭への出入り口らしいものが見え、この位置で場所が特定できるかもしれません。今は理科棟や美術・音楽の校舎が建っている場所にあった、現存しない校舎の窓の可能性もあるかなと思います。細かい話ですが、どなたか是非!)

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