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2015年6月の6件の記事

2015年6月30日 (火)

第2会場設営完了

昨日と本日で、第2会場の設営を行いました。第2会場のタイトルは「疎開、動員、占領」です。集団疎開、勤労動員、日吉の米軍接収を主に扱います。
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見所としては、集団疎開中の幼稚舎生が書いたり受け取ったりした葉書を一挙100枚以上、並べて読めるように展示しています。
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3dscn4671_r葉書の設置は、とっても手間がかかっています。

5dscn4667_r葉書のクローズアップはこのような感じ。


4dscn4672_rまた、戦後間もない時期の慶應義塾が製作した貴重な動画も上映します。その他、こんなものが残っているのか、という「ちょっとした資料」が集まっていますので、是非お立ち寄り下さい。

2015年6月22日 (月)

99歳の講義!

本日、日吉の授業で、今年99歳になる鈴木和男さん(昭和14年政治学科卒)に講義をしていただきました。
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鈴木さんは、大正5年生まれ、同12年に幼稚舎入学以来慶應で、その年の関東大震災も記憶されています。大学予科の入学が昭和8年で、日吉キャンパス開設の前年。ということで予科生として日吉を経験されていない最後の学年です(それまで予科も三田でした)。

卒業の翌昭和15年に応召、以後昭和21年の復員まで陸軍で生活。開戦時は香港攻略に参加、その後パレンバン、タルトン(北スマトラ)を経て、ラバウルに入り、昭和17年12月、ガダルカナル島に上陸。以後1か月余りを過ごし18年2月に脱出、ブーゲンビル島を経てラバウルで終戦を迎えました。

ガダルカナルでの経験は言い表せないとのことでしたが、上陸時につまづくと足下に次々にしゃれこうべが落ちていた様子。最初は手を合わせていたが、すぐにキリがなくなりやめたこと。高温多湿で3日で遺体が白骨化したこと。脱出時には危篤だったはずの重傷者が自力で歩き出し乗船したこと(生への執着)。人肉食の「噂」などについてもお話し下さいました。

現代社会とあまりにかけ離れている側面もあり、学生には戸惑う内容もあったかもしれません。1世紀を生きてこられた大先輩の言葉はどのように受け止められたでしょうか。
Dscn4607_r駆けつけて下さった毎度おなじみ、昭和19年三田会代表の神代さん(右)と鈴木さん。お二人の年齢を合計すると190歳!!

2015年6月12日 (金)

”「最後の早慶戦」急告写真 OB宅で発見” 読売新聞夕刊 2015年6月12日

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読売新聞夕刊で、1943年(昭和18)秋、学徒出陣を前に行われた最後の早慶戦の写真が発見されたことが紹介されました。

昨秋、慶應義塾大学卒業生の田中利雄氏(故人)のご遺族が、写真アルバムを慶応義塾福沢研究センターに寄贈しされました。本プロジェクト担当の都倉武之がその中から最後の早慶戦の貼り紙を写した1枚を発見しました。

YOMIURI ONLINEにも記事が掲載されています。

2015年6月11日 (木)

クリスチャンの特攻隊員

慶應出身・クリスチャン・特攻隊員という方がいらっしゃいました。本川讓冶さんです。

この方は、いわゆる学徒出陣(昭和18年12月)の少し前に、海軍飛行予備学生(13期)を志願して海軍に入隊、昭和20年5月11日に特攻出撃で戦死されています。

遺稿集『雲ながるる果てに』に最後の手紙が掲載されており、その中で特攻機に聖書と讃美歌集を持っていくと書き残しています。

今回の展示に是非ともこの方を紹介したいと思い、実物資料を探していたのですが、どうしても見つからず、やむを得ず(この展覧会シリーズでは写真以外の資料は、実物しか展示しない方針でしたが)例外的に写真パネルで、自筆の色紙を展示致しました。

ところが、展示作業のさなか、ご遺族との連絡が取れ、実物を借用することが出来ました。上記の遺稿集に出ている手紙は、依然所在がわかりませんが、別の手紙と色紙を展示予定です。準備が間に合わず、開幕にはあわせられませんでしたが、
7月1日からは必ず展示に加わります。

既にご覧頂いた方も、宜しければ本川さんの資料の追加をご確認下さい。ちなみにこの方は、3年前に亡くなられた生田正輝先生(マスコミ論)の予科時代のクラスメイトです。(都倉)
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2015年6月 4日 (木)

「特攻学徒・決意の肉声 」2015年6月4日(木)NHK首都圏ネットワーク

展覧会第一会場で学生スタッフが取材を受けました。

取材の様子はこちらをご覧ください。

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