2015年8月 5日 (水)

赤紙はなぜ残ったか

いよいよ明日で展覧会が終了となります。

今回は展覧会の開始後に、資料が新たに出てくるケースが相次ぎました。開幕後に追加した資料の一つが「赤紙」。三田の慶應仲通にお住まいの田村眞さん(塾員)のご所蔵品をお借りしました。

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お父様の田村眞太郎さんは商工学校を経て昭和6年経済学部卒。たびたび召集され、最後は昭和20年5月にフィリピンで戦死されています。

その方が昭和16年7月に召集されたときの「赤紙」が、ご本人の写真アルバムに貼られています。開幕後にお借りできたため、6月末から展示に加わりました。

赤紙といえば、通常召集部隊に出頭する際、持参するものなので、手元に残らないはずです。なぜ田村さんはアルバムに貼ることができたのでしょうか。アルバムに貼るために、家に忘れていったのでしょうか!?

謎は解けませんけれども、今回の展示では紙切れ一枚の「赤紙」から「死亡告知書」まで展示できたことは、貴重な機会になったと考えています。展覧会は終わりますが、引き続き資料情報を求めています!

2015年7月31日 (金)

第1会場は、8月6日までです

本日で第2会場は閉幕いたしました。

たくさんの方にご来場頂きまして有り難うございます。残り1週間は第1会場だけとなりますが、日曜日を除いて開いておりますので、まだの方は、ぜひともお越し下さい。

今週火曜日まで、6回にわたりギャラリートークを開催し、たくさんの方にお越し頂きました。資料をご提供頂きました皆様にも多くお越しいただけましたことをありがたく思います。

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F7ps9077_r撮影:石戸晋

2015年7月25日 (土)

疎開の資料も面白いと思います

展覧会も会期末が近づいてきました。第2会場は残りがあと1週間になりました。

今回の展覧会も多くのメディアで取り上げて頂きましたが、第1会場の塚本太郎の音声に話題が集中しました。私としては第2会場ももう少し注目してもらえると思ったのに、それが外れたことが残念です。

特に幼稚舎の集団疎開に関する資料は、来場者には最も興味を引いているもののように感じられます。昭和19年8月から20年10月にいたる静岡県修善寺と青森県木造(きづくり)での疎開に関する資料が、多くの方の目に触れたのはこれが初めてのことと思います。特に面白いのは疎開児童と親たちの交わした葉書です。今回の展示では一挙113枚を展示しています。

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日本の飛行機や艦船、あるいは上空に飛来したB-29の姿を描いたもの、のらくろや身近な風景を描いたものなど、目を引く絵もありますし、文章も読んでいきますと、日常の描写が大変興味深いです。中には東京の家が空襲で焼けてしまったことを伝えている葉書などもあります。

会場では連日、この一面に並んだ葉書を拾い読みしている方々の姿を見かけます。時には現役の幼稚舎生や横浜初等部の児童の姿も。小学生にとっても戦争の歴史をぐっと身近に考えるきっかけになるかと思いますので、ぜひお見逃しなく。

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今までの展示とは違う客層で、保護者の方がお子さんに熱心に説明して下さっている姿もよく見かけ、うれしく思います。(この写真ではちょっと飽きているかも(?)。)

第2会場は他に、勤労動員に関する資料と、日吉の米軍接収についても展示しています。勤労動員は資料が乏しく非常に困りましたが、今回初めて各学校の学年別勤労動員先一覧を作成しました。まだまだ情報が不足していますので、資料のご提供を切に願っております。

また、日吉の米軍接収につきましては、戦後の義塾経営の苦心がよくわかるかと思います。カラーを含む戦後間もない時期の映像も見所です。こちらもぜひご覧下さい。

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動画の一コマ。まるで闇市のような(?)雑然たる時代の日吉が映し出されます。背後はいわゆる「かまぼこ校舎」(米軍の残した兵舎を教室に転用したもの)

「特攻出撃前の肉声 同世代の若者にどう響く」(NHK首都圏ネットワーク報道の詳細)

6月4日にNHKで放送されたニュースの内容が下記に詳しく掲載されています。見逃された方は、是非ご覧下さい!

http://www.nhk.or.jp/shutoken/miraima/articles/00194.html

2015年7月22日 (水)

”戦後70年、特攻隊員「声の遺書」が伝える心情”  日本経済新聞 2015年7月22日

7月22日の日本経済新聞で、展覧会「慶応義塾の昭和二十年」(8月6日まで)が紹介されました。会場では、人間魚雷「回天」の搭乗員になった塚本太郎さん(当時21)の音声を流しています。1943年10月、学徒出陣の壮行式の後、銀座で広告関係の仕事をしていた父親のスタジオでレコードに別れの言葉をふき込まれたものです。

日本経済新聞のWen刊にも記事が掲載されています。

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