カテゴリ「展覧会」の47件の記事 Feed

2014年10月23日 (木)

上原兄弟のご親族がご来場下さいました(1)

本展で多くの資料をご紹介させていただいている上原3兄弟(全員慶應出身、全員戦歿)の妹である上原清子さん、上原登志江さん、遠縁で戦前から親交の深かった横山(旧姓青木)房子さんがご来場下さいました。

上原登志江さんと横山房子さんは、お2人で10日にご来場。登志江さんは上原良司の展示品の遺本(片思いの女性への恋文を秘めた本)を発見した方。現在展示中の、遺本が隠されていた本棚や、遺書が隠されていた物入れ(置き床)を前にして、改めて検証を始められました。引き出しに腕を突っ込んで、「こんなんだったかしら」と押したり引いたり、大変な騒ぎとなりました(決してまねをしないで下さい(笑))。

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房子さんは、慶應医学部の病理学教室教授だった青木貞章氏のお子様で、上原兄弟の父寅太郎は遠縁に当たるこの貞章さんの家に預けられて育ちました。貞章さんの祖父は大の福沢諭吉ファンで、自分の戒名を独立自尊居士と付けてしまったほどの人だったそうです。本人に確認せずに勝手に貞章さんの願書を慶應医学部に出してしまい、貞章さんは医学部の2回生として卒業しました。その貞章さんの縁で、3兄弟は自然に慶應に入ることになったようです。

登志江さんと房子さんは、そういうわけで小さい頃から一緒に遊ぶ大の仲良しで久しぶりの再会。展覧会の内容には不釣り合いの、にこやかな表情のお二人です。
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Eaao7025w_rこちらはアートスペースの玄関にて。左から2番目は白井厚名誉教授。
(以上撮影=石戸晋)

A2no34114_r_rこちらは、きょうだいの長男で昭和15年医学部卒の上原良春さんが撮影した幼い頃の登志江さん(右)と房子さんの写真。会場のディスプレイには、このお二人がたくさん登場しています。

2014年10月20日 (月)

「特攻隊員の遺品集めた展示会」 NHKニュース 2014年10月20日 

「残されたモノ、ことば、人々」展が、NHKのニュースで”特攻隊員の遺品集めた展示会”として紹介されました。

http://www.nhk.or.jp/shutoken-news/20141020/4831141.html

「70年前の昭和19年10月、太平洋戦争で組織的な特攻作戦が始まり、翌年の終戦までに6000人以上が特攻で戦死したと言われています。」という説明が加えられています。

2014年10月15日 (水)

体育会水泳部のこと

今回の展示では、水泳部のことを少し深く取り上げています。登場する重要人物が、この女性です。

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三田綱町の男爵内海勝二邸内にあった水泳部合宿所の寮母・吉田千代さんです。この方は、昭和8年から寮母を務め合宿所の「おばさん」と慕われ、箒を手に部員の生活指導にも当たったそうです。戦後は合宿所の「ばあさん」(またはババア←水泳部100年史に書いてあります)として昭和43年まで寮母を務め、その様子は「若人の歌」(1951)という東宝映画のモデルにもなったとのこと。昭和53年、79歳で死去。身寄りがなく、最後は水泳部のOBの方々が色々とお世話をされたとのことで、水泳部100年史によりますと、年齢はOBの話を総合した結果の推定とのことです。

水泳部の合宿所からも戦歿者が出ました。そのうちの2人を今回の展示で取り上げます。一人は片山崇さんで、海軍の特攻で亡くなっています。この方には婚約者がいらっしゃり、その方から資料をお借りしました。もう一人は上藤憲三さん。この方の資料はわだつみのこえ記念館に保存されていることが分かり、今回お借りして展示させていただきました。

吉田千代さんは、合宿所から4人の「子供」を一度に失った、と嘆く手紙を上藤さんの遺族に出しています。その最後は


涙で何にも書けません。二度と御逢ひ出来ない、
上藤さま、上藤さま、上藤さま さよおなら
        悲しい、悲しい  合宿ノ小母さん


と締めくくられています。(読みやすく表記を一部修正しました)

このほかにも続々と復員してきた水泳部の部員が、千代さんから上藤さんの訃報を耳にしたときの反応が生々しく記されています。(個人名を消さずに掲載させていただきます)


…和歌山より妙中と云う学生さんが復員になったと逢ひにきまして、八日の夜帰りますと、柴山太郎と云う学生さんが逢ひに来まして、十三日朝一番で帰りましたが、柴山太郎と云う学生さんを、上藤様はとても可愛がっており、戦地へ立つと云うて別れに参りました時、合宿(所)で太郎さんと一所にやすみました。色々な事を話して別れたが、上藤さんは死んだのか、死んだのかと、いくたびも、いくたびも泣き乍ら申しました。


例えばこれらの手紙。一つが単独で残っているだけでは、単にご遺族の思い出や悲しみを想起する個人的なモノでしかないかもしれません。事情のわからない方から見れば、自分に無関係のゴミになってしまうことでしょう。しかしそれをその時代状況の中で丁寧に記録し、また近接する手紙や写真とともにまとめて保管しておくことによって、この時代をくっきりと後世に伝えていく重要な歴史的資料になっていくと考えます。このプロジェクトであくまで慶應にこだわっていること、細かい個人的なエピソードや具体的な情報を重視しているのはそのためです。同じ学校だから掘り起こせること、伝えられることがあるのではないかと考えています。

ここで紹介した水泳部の資料は第2会場で展示されています。

2014年10月 8日 (水)

芳賀日出男さんがご来場

今回の展覧会のメインビジュアルに撮影写真を使用させていただいた写真家の芳賀日出男さんが、開会初日にご来場下さいました。

会場には、時あたかも昭和19年三田会代表神代忠男さん、昭和22年卒の和田實さんがいらっしゃり、これはあいつの写真だ、これは誰々で戦後どうなった、というような話で盛り上がり、ちょっとしたギャラリートークのようになりました。

Ea7o3541w_r 神代さん(右)と久々の再会となった芳賀さん(左)。中央は和田さん。 Ea7s6846ws_r_r第2会場ロビーにて

2014年10月 7日 (火)

展覧会が始まりました

「残されたモノ、ことば、人々」展が、スタート致しました。今日は早速多くの皆様にご来場頂きました。

この展覧会は、2会場に分かれております。大変申し訳ありませんが、開館時間や開館日が一致しておりません。両方ご覧いただけるのは、月曜日~金曜日、10時~17時です。ご不便をおかけ致しますことをお詫び申し上げます。
詳細な開館予定は、こちらをご確認下さい。

Dscn3126_r Dscn3131_r 昨日は台風の影響で作業が遅れたものの、午後9時に展示作業が無事終了しました。

Dscn3133_r Dscn3135_r 第2会場のアート・スペースでは、この会場始まって以来最も展示品の密度が高い展覧会とのことで、全部並ぶかと心配されましたが、何とか並びました。下は特攻で戦死した上原良司が、仕掛けをして遺書や遺本を隠していた本棚と物入れ。

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